top of page
諏訪神社 (畔吉)
(集会所にトイレあり)
上尾市畔吉835番地
畔吉は古くは畦牛・阿世吉とも呼ばれたそうです。
境内の看板や市教育委員会ホームページによると、この神社の創立年代は不詳ですが、石造りの鳥居は弘化2 (1845) 年の建立で、その前面に 「畔吉村氏子中」 と刻された大きな幟立 (のぼりたて) があり、こちらは天保9 (1838) 年の建立です。
覆屋の中の本殿側面には見事な斗きょうと彫刻群を拝観することができます。
口碑によれば当神社はもともと江戸期の名主・井原家の氏神であったといわれ、同家の祖先が岩槻城主太田氏に仕えていたことから、天正18年 (1590) 頃にさかのぼる可能性もあります。
『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代の畔吉村の鎮守は氷川社であり、諏訪社は徳星寺 (とくしょうじ) 付属の神社となっています。明治末年に神社の合祀運動が国の指導で進められましたが、当時大石村の大字だった畔吉地区は、一村一社にするというこの運動にはくみせず、氷川社を含む地区内の神社9社を明治40 (1907) 年に合祀し、名称を諏訪神社とした、とのことです。
4月の春祈祷には「源太・万作踊り」、10月のお日待ちには 「ささら獅子舞」 が奉納されます。いずれも市指定無形民俗文化財です。
諏訪神社は全国に約25,000社あり、総本宮は諏訪大社 (長野県諏訪市周辺、4宮あり) です。
御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)で「諏訪大神」とも総称。諏訪大社では6年に一度、御柱(おんばしら)と呼ばれる4本の柱を立てる御柱祭が行われます。
bottom of page